『古よりの「伝説のイカ」に込められた思い』

        『古よりの「伝説のイカ」に込められた思い』
        ~離島というハンデをプラスに変えて小規模漁師を支える地域の取り組み~

              島根県隠岐支庁水産局 島前出張所 主任水産業普及員 為石 雄司

【島根県隠岐群西ノ島について】

 島根半島の沖合約65km、日本海に浮かぶ大小180余りの島々から成り立つ隠岐諸島。その中で人が住む島は4島あり、本土寄りにある3つの島(西ノ島、中ノ島、知夫里島)をまとめた「島前(どうぜん)」と、その北東に位置し隠岐諸島最大の面積を誇る1島「島後(どうご)」の2地区に分かれている。

その島前で最も大きな面積を持ち、国立公園に指定されている国賀海岸などの絶景を誇る西ノ島において、古より島にまつわりの深い「イカ」を中心に、地域が一丸となって島の一本釣り漁師の収入向上を目指した取り組みをご紹介します。

  
      国賀海岸              由良比女神社           イカ寄せの浜看板


【西ノ島とイカ】

 隠岐郡西ノ島は面積約56㎢、人口わずか3,000人余りの小さな島ですが、豊かな日本海からの恵みに支えられ、漁業は島の主幹産業となっています。その恵みの中でも、島民にとって「イカ」は特別な存在に位置づけられています。島にはイカにまつわる多くの伝承が残されており、とりわけ海の神が奉られている“由良比女神社”はイカとの関わりが深く、社前に広がる由良の浜は別名「イカ寄せの浜」と呼ばれ、かつては年に数回、イカの大群が浜に押し寄せ、浜辺中でイカを手づかみし、家々へ持ち帰るという光景も島では珍しいことではありませんでした。残念なことに、近年では昔のように大量のイカが浜に押し寄せるということは非常に稀なことになってしまいましたが、今でもイカが浜に寄ることがあり、時折、イカが来ていないかを見て回る人々の姿もあります。このように西ノ島とイカは切っても切れない関係にあることから、町のイメージキャラクターも当然のように「イカ」、マンホールの蓋にまで「イカ」がデザインされるほど、「イカ」と縁が深い島なのです。

   
H18.2.5スルメイカが大量に押し寄せた   イカ寄せの浜(現在) イカがいないか探す人の姿    町のマンホール蓋 
(写っているのは拾い終わった後の残骸)


【離島漁師ならではのハンデ】

 隠岐諸島は日本海の好漁場に囲まれた環境から、旋網、定置網、刺し網、一本釣、採介藻、そして近年ではイワガキ養殖など、島では様々な漁業が営まれており、水揚げ高の総計はおよそ3040億円にも上ります。その大半を占めるのは旋網であり、大型船団という機動力を活かし、漁獲物は直接本土の境港へ水揚げされます。しかし、その他漁業のほとんどの漁獲物は西ノ島にある漁業協同組合JFしまね浦郷支所に水揚げされ、そこで発砲箱に詰められから、フェリー便などで本土に運ばれ、さらに保冷車に積まれ、ようやく境港や他の市場まで運ばれて行くのです。そのため、隠岐からの出荷は箱代と氷代以外にも輸送費として1箱あたり5001,000円程度上乗せされてしまうのです。その上、鮮度が命である魚の取扱いにおいて、輸送時間が余計に掛かってしまうことも離島の抱える欠点となっています。つまり、ここ隠岐の多くの漁師は、スタートラインから既に多くのハンデを背負った状態で戦っていかなければならないのです。

 

【「伝説のイカ」プロジェクトの発足】

“イカを活きたままパック詰めして輸送する”、これまで考えもしなかった情報が飛び込んできた。活イカはその取扱いの難しさから、鮮魚の数倍の値で取引される。「イカは活きたまま港に持ち帰るだけでも難しいのに、それを魚のように活魚として、ましてや島外に出荷するなど、できるはずがない」、当時の漁業関係者の意見としてはごく当たり前の反応であった。しかし、そのような取り組みが佐賀県の呼子町で実際に行われていると知り、早速、地元漁業者、漁協、町や県の関係者で集まり、現地への視察を実施した。実際に活イカの輸送を目の当たりにし、隠岐から本土への活イカ出荷が決して夢物語ではないということを実感した面々は、早速、島で「活イカプロジェクト」を立ち上げた。元々、イカに強い思い入れを持つ者達が地元にはたくさんいる。また、隠岐諸島周辺海域はイカの好漁場であり、14月頃はヤリイカ、6月~12月頃はケンサキイカと、ほぼ周年に渡りイカが水揚げされている。このイカを使った新たな取り組みに、関係者一同、期待に胸を膨らませた。さらに、この活動の追い風となったのが、国の離島漁業支援対策である“離島漁業再生支援交付金”であった。この交付金を活用することで、活イカ出荷に必要な機材の導入や水槽の整備を行うことができた。そして、平成18 年に活イカの出荷事業を手がける株式会社日本海隠岐活魚倶楽部〔以下、活魚倶楽部と略す〕が設立され、出荷する活イカには島民の思いと成功への願いを込めて、「伝説のイカ」と名づけられた。

 

【伝説のイカの出荷方法】

 活イカの出荷を行うには、何を差し置いても、まずは漁師に活きの良いイカを港まで持ち帰ってもらわなければ始まらない。活力があり、質の良いイカを持ち帰るには、手釣りが基本。そのため、「伝説のイカ」には、隠岐周辺海域で手釣りされたイカだけが使用される。漁師は夕方から出漁し、深夜までイカを手釣りし、船の活間で活かし、港に設置された活イカ用の円形水槽に各自で収容する。翌朝、水槽に収容されたイカを活魚倶楽部の職員が確認し、活イカとして出荷可能な状態であれば、周年1,8002,000/kg程度で漁師から買い取り、注文に応じて出荷が行われる。出荷する際は、イカを1杯ずつ少量の紫外線殺菌海水と共に専用のビニールパックに入れ、酸素封入された状態でパック詰めされる。イカを袋に入れてからパックするまではわずか数秒。酸素でパンパンに膨れあがった筒状の包装形態から“ロケットパック”などとも呼ばれる活魚輸送形態である。この出荷方法を使えば、袋詰めされてから約36時間は活きたままイカを輸送することができる。西ノ島で昼1時頃からイカをパック詰めして、午後のフェリーに積み込めばその日の夕方には本土へ到着する。そこからはトラック便で各地へ配達され、翌日の夕方までに注文先へ活イカを届けることができるのだ。ちなみに、イカ以外にも魚類や貝類も同じ方法で輸送がすることが可能である。

   
活イカ水槽からの取り上げ作業 自分達で作った作業台    活イカパックのできあがり   活イカの発送箱 


【漁師の性分?“注文があっても活イカがない”】

先に述べたとおり、活イカを出荷するには一にも二にも活力のあるイカを持ち帰ることが何より重要なこととなる。そのために、漁師の技術向上、船内の活け間の改造、取扱い講習等、より活力ある良質のイカを持ち帰るための様々な取り組みが行われた。その甲斐あって、順調な滑り出しに思えた活イカ事業であったが、思わぬ落とし穴につまずくこととなる。この取り組みに協力していた漁師から「もう辞めたい」との申し出があったからだ。「確かに活イカは値が高く、出荷経費も抑えられるが、何と言っても、扱いがめんどくさい。活イカとして1杯に時間と手間をかけるより、鮮魚として倍釣った方が良い」との話であった。以前、このような話を聞かされたことを思い出す、「漁師はやっぱり捕ってなんぼの世界。たくさん捕って、それを市場に出荷して競られた結果で金額は後から決まる。だから、漁師は金額で自慢話をするより、“俺は今日、なんぼ揚げたぞ”と、捕ってきた量で自慢話に花が咲く。それが漁師の性分だ」と。結局、その方を引き留めることができず、注文はあれど活イカが揚がらないという状況に陥ってしまったのだ。自然相手の漁業において、「今日は水揚げがありませんでした」という断り文句はよくあることだが、毎度毎度「今日もありません」では信用を失い、せっかく築き上げた販路も無くなってしまう。そこで、どのようにしてこの危機を乗り切ったかというと、“揚がらないなら自分達で釣に行こう”という何とも短絡的な手段であった。活魚倶楽部の職員の他、漁協や役場の職員など、素人集団が即席のイカ釣り漁師となって必死に活イカを集めたのだ。その発想は、さすがはイカの島の住人といったところである。この話は今でも笑い話の語りぐさとなっている。

そのような努力の結果、徐々に活イカ事業が軌道に乗り始めると、今まで半信半疑であった漁師からの関心も高まり、一人、また一人と賛同者も増え、現在では7名の漁師が活イカの水揚げを行っている。活イカでの出荷は従来の出荷経費(箱代、氷代、輸送費)が必要なくなるばかりか、大漁時の価格暴落の影響を受けることもないため、確実に漁業者の収入の安定と向上に効果をもたらした。(昨年、今年の大漁時のケンサキイカの鮮魚価格はおよそ300400/kgと活イカの1/5程度)

 

【新たな問題と挑戦】

 活イカの取り組みが浸透してきた結果、イカが捕れる時期であれば長期間の時化でもない限り、ほぼ安定して活イカを出荷できるだけの在庫を確保することができるようになった。しかし、注文と漁獲のバランスが必ずしも一致する訳ではない。せっかくの活イカも港の水槽に収容してからおよそ1週間以内に出荷できなければ、衰弱して死んでしまう。また、最盛期ともなれば、11,000杯程度の活イカが連日水揚げされることもある。このような状態になると、漁師からイカを買い取っても、売り切ることができず、港に8基ある専用水槽(約200/槽の収容能力)も直ぐに満杯となってしまう。そんな状態になると、漁師にとってはせっかくの稼ぎ時に活イカの水揚げを制限してもらうしかなく、非常に悔しい思いをせざるを得なかった。このままでは、せっかくの取り組みが中途半端に終わってしまう、何か良い方法はないかと模索していたところ、最新の冷凍技術を持ってすれば従来の冷凍品とは比べものにならない高品質の冷凍品が作れるということを知り、平成22年にプロトン凍結機の導入が行われた。プロトン凍結機は食品の凍結時に磁石と電磁波を併用することで、食品中の氷の結晶を最小限に抑え細胞の破壊を防ぐことがきるため、解凍後は鮮魚に匹敵する程の冷凍品が作れるという機械である。

この凍結機と活イカはまさに最強の組み合わせであった。どんなに良い冷凍機を使っても、スタートラインが違えば十分な性能を発揮することはできない。これは、離島漁師のハンデと同じ考え方だが、プロトン凍結イカを作り、通常のスタートラインに立とうと思えば、まずは“鮮度抜群の鮮魚(イカ)を準備する”という事になろう。しかし、活イカと組み合わせれば、他ではなかなか真似のできないさらに一歩先行くスタートラインに立つことができるからだ。通常の鮮魚のイカを凍結しただけでは、解凍後の品質としては『鮮魚イカ≧凍結イカ』となり、一般的な鮮魚以上の品質は見込めない。しかし、活イカを原魚とすれば、『凍結イカ≧鮮魚イカ』と、一般的な鮮魚より一歩上行く品質も目指すことができる。元々、活イカとして出荷できるイカを水槽から取り上げ、直ちにプロトン凍結を行うのだから、結果は予想どおり。関係者一同、「これならいける!」と太鼓判の品質であった。

 

【さらに上行く最高品質の冷凍イカを目指して】

プロトン凍結機の導入により、漁師に活イカの水揚げ制限をお願いすることはほとんど無くなった。活魚倶楽部のプロトン凍結イカの原魚には、全て活イカが使われている。それ故、漁師からの買い取り価格も変わらない。“活きたイカをそのまま最新の凍結技術で凍結する”というだけでも品質はかなりのものであろうが、それだけで満足しないのがここの島の住人である。少しでも良いものを作るため、活イカの最適な活〆方法を研究したり、購入者から「さばく時に墨袋が破れるとイカの身やまな板を汚して困ることがある」と聞くと、何とか凍結前にイカを傷つけることなく墨袋だけを除去できないかと、これまた試行錯誤。市販のイカ用の活〆具を取り寄せてみたり、墨袋を抜き取るために様々なピンセットなどを使ってみたり、皆で知恵を出し合いながら色々な方法が試された。そして、最終的にたどり着いたのが、“竹製の割り箸と軍手”という何ともシンプルでどこにでもある道具であった。

イカを〆る際、最初は金属製の専用器具などを使っていたが、大量のイカを短時間で確実に〆るにはどうもうまくいかない。また、慌ただしい作業の中で、いつの間にか道具が見当たらなくなるということもしばしば。そんな時、何気なく竹製の割り箸の先端を少し削って尖らせた棒で試したところ、これが予想以上にイカを〆るのに適していることに気が付いた。竹製の割り箸は手元が滑りにくく、あの太さが一発でイカを確実に〆るのにも適していた。さらに、安価で簡単に入手できるため、無くなっても直ぐに新しいものが準備できるなど、今では大変重宝する道具となっている。また、墨袋の除去に関しては、“人の手にかなうものはなし”という結論に至った。手袋も色々な素材を試したが、軍手が最もイカの墨袋を掴みやすく、破りにくいということが分かった。今では、活〆から墨袋除去までに掛かる時間はわずか10秒程度という早業。その後、イカは専用のトレーに並べられ、即座にプロトン凍結され、1杯ずつ脱気包装される。

活魚倶楽部が使用しているプロトン凍結機は、イカのサイズにもよるが一回に凍結できるイカの数は120130杯程度と規模的には小さい。また、凍結作業が完了するまでに要する時間は12時間程度。そのため、イカの大漁が連日続くと、漁師も活魚倶楽部も大忙し。毎日、少しでも多くの活イカを受け取るためには水槽を空けなければならない。そのためには、活イカ出荷とプロトン凍結イカ作りを平行して行わなければならない。時には一日に何回も凍結作業を繰り返し、凍結している合間を縫って他の業務をこなさなければならず、気が付けばろくに座る暇もないまま夕方を迎えるということもしばしば。「活魚倶楽部は漁師の収入向上を第一考えているので、できるだけ活イカの受け取り制限などはしたくない。だから捕れる時に忙しいのは仕方がないが、それでも年に3日ぐらいは“さすがに明日は勘弁してくれ”と言ってしまうこともあるかな」と苦笑する活魚倶楽部の代表取締役の徳若博さん。

              
        プロトン凍結機                   最強の活イカ〆具 
        

【ゼロからの販路開拓】

 活魚倶楽部の販路開拓の主体は“商談会”である。商談会は県内で開催される比較的規模の小さいものから、東京・大阪で開催されるジャパン・インターナショナルシーフードショーや居酒屋産業展、千葉で開催されるフーデックスなど、年間に67回程度、それらの商談会へ出展し、新たな販路開拓を行ってきた。

活魚倶楽部が出展する商品は、活イカパックの「伝説のイカ」を筆頭に、その他の活魚パック(ハタ類、カレイ類、ヒラメ、オニオコゼなどの魚類やタコ、アワビ、サザエなど)、隠岐の鮮魚セット、プロトン凍結イカ、隠岐のブランドイワガキ、水産加工品等、全て地元隠岐の水産物である。

 出展を始めた頃は商談会の勝手も分からず、また、“どこかの田舎者が訳も分からず出てきている”などと思われまいとして、がむしゃらに商品を売り込んでみたり、活イカを大量に持ち込み、板前を雇って調理デモをしてみたりと、随分派手な演出を行ったこともあった。その物珍しさに誘われて、出展ブースには多くの来客もあったが、その多くは単なる見物か冷やかしばかり。人が集まる割には商談に結びつかず、出展する度に大赤字になることも珍しくはなかった。それでも、商談会に出展し続けたのは、商品に自信があったということはもちろんだが、その商品の良さや隠岐の魅力を直接自分達で伝えることや、生の消費者ニーズを直接感じることが重要だと考えていたからだ。昨今、様々なコミュニケーションツールの発達により、離島にいながらにしてもたくさんの情報発信や情報交換も可能となったが、やはり「直接会って話をする」ということに勝者はない。

当初、空回りすることもあった商談スタイルも場数を踏むにつれ余計な肩の力も抜け、今では単なる冷やかしと本当に商品に関心を持って話を聞いてくれる相手とが分かるようになった。また、商談会は新規の販路開拓の場であると同時に、販売先との情報交換の場であり、新たな商品開発のアイディアを見つける場にもなっている。

  
       商談会風景               出展商品               活イカの姿造り 

【隠岐というハンデが互いのプラスに】

 「活イカ」という商品は高値で取引される分、万人受けする商品ではない。大手スーパーなどで「活イカ」が販売されている光景を見たことがある人など、まずいないだろう。また、必ずしも“活”でなくても、鮮魚流通のイカで十分に美味しい料理も作れるだろう。それでも、この「伝説のイカ」は売れている。なぜなら、「活イカ」へのこだわり、「島根県隠岐」という産地へのこだわりが、売る側にとっても、買う側にとっても強力な武器となるからこそ、この商品に価値が産まれ、ニーズへと繋がっているからだ。これまで重くのしかかってきた「離島・隠岐」というハンデが、この地域を挙げた取り組みにより、ようやくマイナスからプラスへと転換し始めている。

 

【今後の課題と展望】

 活イカ「伝説のイカ」のH23年の販売実績はおよそ3,600パック。少しずつではあるが売り上げは上昇傾向にある。また、H23年から本格的な販売を開始したプロトン凍結イカは初年度ということもあり、「これぐらいなら売り切ることができるのではないか?」と、手探り状態のまま約1万杯の生産を行った。冷凍品は長期保存が可能だが、その分、ストックしておく冷凍庫の容量も必要となる。また、在庫として大量に売れ残ってしまうと、作れば作るほど赤字になりかねないというリスクも抱えている。品質の良さには絶対の自信を持ってはいたが、最終的にそれを判断するのは消費者である。その消費者から「単なる冷凍イカ」としか見てもらえないのではないかという不安も捨てきれなかった。しかし、そのような心配をよそに、結果は予想以上の売れ行きとなり、年末を待たずして売り切れの状況となった。プロトン凍結イカは、生産に手間は掛かるが、輸送単価が安いため販売単価も活イカより安く、その品質の良さに加え、墨袋の除去や長期間のストックが可能で安定供給できる点において高い評価を得る事ができた。この結果を踏まえ、H24年はさらに生産量を増やしつつ、新たな販路開拓に勤しんでいる。

 イカ以外の商品では、アワビやサザエの活魚パックも評価が高く、「隠岐のアワビは肉厚で味も違う」という、うれしい反響の声も聞こえてくるようになった。また、キジハタやオニオコゼの活魚パックも注文数は増えているが、こちらは現在なかなか在庫が集まらないという問題を抱えている。元々、まとまって数が釣れる魚ではないが、一番の原因は活イカの取り組み当初と同様で、「活で持ち帰るのがめんどくさい」という、これまた振り出しに戻ったかのような理由なのだ。これらの魚は鮮魚でも値が良いため、活イカのように倍半分の値段の差が付きにくい。それでも、鮮魚で出荷してしまうと、結局、出荷経費が余計に掛かってしまうため活魚出荷の方が漁師にとっても徳だと思うのだが・・・。もうしばらく、漁師との根気強い話し合いが続きそうである。

  
    キジハタ(1~2kg級)   刺の先端を見た目が悪くならない程度にカット  キジハタの活魚パック  


 

【補足説明資料】

Ø  株式会社日本海隠岐活魚倶楽部

l  JFしまねが筆頭株主となり、地元出資金と併せた計1,000万円の資本金を基に平成186月に設立。

l  代表取締役には、旧浦郷漁業協同組合(現、JF しまね浦郷支所)の組合長徳若博が就任。

l  漁協と別会社にしたのは、H18年に県内一漁協を目指した合併に参加することが既に決まっており、漁協では地域単独の事業経営が困難になると判断されたため。

l  活魚倶楽部の職員は、徳若氏の他、男性職員1名、事務職員の女性1名の3人が西ノ島の事務所に常駐しており、本土側の境港にも近隣地域への配達担当として男性1名が常駐している。イカの受け取りから出荷、及びプロトン凍結イカの生産に至るまで、ほとんどの現場業務を徳若氏と男性職員1名で行っているが、活魚倶楽部の事務所がJFしまね浦郷支所の荷捌き所と並列していることや、元々、漁業者のために地元が協力して立ち上げた会社であることから、漁協職員が作業協力を行っている。

l  活魚倶楽部は漁業者の収入向上が第一の目的であり、会社としては利益追求型の経営ではないため、活イカ、活魚、鮮魚、一部加工品等による売上げだけではまだ十分な黒字経営に至っていない。他に、西ノ島町内の海釣り公園やキャンプ場、観光センターなどの町営施設の管理業務などを務め、収入を得ている。

l  営業のほとんどは上記本分にあるとおり“商談会への出展”で行われている。職員も少ない上に、西ノ島の事務所も空にすることができないため、商談会場へは漁協職員、役場職員(時には私のような普及員や漁業者も)一緒に出て、商談をサポートしている。

l  活魚倶楽部では一部加工品製造も行っている。缶詰やみりん干しなど、手の掛かる商品は基本的に漁協が従来から作っている加工品を取り扱っているだけだが、イカに関してはプロトン凍結商品として、贈答用の活〆ケンサキイカの一夜干しや、切れば直ぐに刺身にできる開いた活〆ケンサキイカのお刺身パックなどを製造している。また、業務用として、鱗と内臓を取り除いたカサゴのプロトン凍結商品なども製造しており、既に顧客も付いているが、人手も手間も掛かるため、本格的に大量に生産することは難しい状況。

Ø  プロトン凍結機について

l  プロトン凍結機は町がH22年に離島の付加価値対策の一環として購入したものであり、活魚倶楽部が管理しながら使用しており、業務用使用が優先にはなりますが、空いていれば島民も500/h(確かこの値段のそのはずです)で利用することも可能です。非常に良いものなので、自分の家用として頻繁に使いたがる人もいるようです。

Ø  イカ寄せの浜について

l  道路の改修が進み、現在では浜も小さくなり、環境も随分変わってしまったことも原因かもしれないが、大量にイカが押し寄せるという現象は、平成182月にスルメイカの大群が浜に押し寄せたというのが最後。しかし、小規模では現在も起こっている。イカの種類は主にスルメイカ(ケンサキイカもあるかもしれませんが確認していません)。理由は色々といわれていますが、由良比女の浜は急に狭まる湾奥であると同時に、急激に浅くなることから、海流に乗って泳いでいたイカの群れが、そのまま勘違いして湾奥まで泳いで急激に浅くなるため打ち上がるとか、イルカや魚類に追われたイカが慌てて湾内に逃げ込んで、同じく急激に浅くなる浜で身動きが取れなくなるとか、本当のところはよく分かりません。

l  毎年10月~翌年1月にかけては、島では「ドータリ」とか「ベニイカ」と呼ばれている「ソデイカ」がやはりこの湾内に入って来ます。他のイカのように一度に大量に押し寄せるということはありませんが、概ね対でやってくるので、日によってはそれが数回続いて入ってくることもあり、しかもそのサイズは数キロから大きいものでは10kgを超えるものまでいます。細長い湾ということから、近隣の住民は数メートルある竹の先に大型のイカカギを付けた道具を持っており、時折湾内を見回りながら、ソデイカを見つけるとそのカギで引っかけて捕まえています。また、近くに浦郷小学校があることから、小学生が学校帰りに湾内に集まって、イカ探しをして、捕まえた時はそれを漁協まで持っていって買ってもらうことでお小遣いを稼ぐという、何とも現実的な子供もいるようです。



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