パソコンをのぞきこんでいたアンさんと補助調査員の女性が,ボクのひとりごとを 聞きつけて笑いころげました。ことばはわからなくても,ボクがはしゃいでいることは分かったんでしょう。
頻繁に 空を飛んでいる彼女たちにすれば,飛行機なんてめずらしくも,おもしろくもないはずです。
ところがボクはちがいます。 ボクにとってはめったにお目にかかれない高級なおもちゃです。
おもちゃをあてがわれた子供みたいに 見えたのかもしれません。

「シートベルトを締めて」 「ドアはちゃんとロックされてますか?」
パイロットのライルさんが離陸前のチェックをはじめました。

「ヘッドセットをつけて」
飛行中は 爆音が大きいので,肉声ではお互いの声が聞こえません。
ヘッドセットを通して会話をするのです。

エンジンがうなり声をあげ,機体はソロリソロリと滑走路に向かいます。目の高さは車と変わりません。
乗りなれたジェット機にくらべると,あまりにも足の下と地べたとの距離が近すぎます。

視界が よすぎるのもなんか変です。
救命胴衣のつけ方をビデオに合わせて,デモンストレーションするフライトアテンダントさんが いないのもなんか変です。
おしぼりが出てこないのもなんか変です。

滑走路は2本あります。 1本はちゃんと舗装されています。もう1本は草をむしっただけの赤土むきだしの裸です。ボクらのエアロ・コマンダーは 赤土の方を選びました。ガタゴト小石をはじきながらトコトコ進みます。 滑走路の端に着いたら,「オイオイどうした」と いう間もなく滑走路を外れて,草むらにゴソゴソと分け入りました。 ガサ,ガサ,ガサ。 ガサ,ゴソ,ゴソ。 麦わら色の草が足の下をなでていくのがわかります。草をかき分けかき分け,滑走路に向けてUターンしました。

いよいよ離陸です。 エンジンの回転が上がり,プロペラが空気を引き裂きます。
機体は速度をグングン上げ, 翼が空気をとらえ,足の下が急に軽くなりました。
機首がフワッリと持ち上がり,目の前に青空が広がります。 大地を置き去りにしてグイグイと上昇します。
足元に草原が広がります。人家がポツポツと見えます。森の木立も見えます。 池も見えます。

上昇が終わるとアンさんたちはさっそく,パソコンを立ち上げました。 機体は大きく旋回しました。海をめざします。 ポートリンカーンの西の沖合には,3〜4歳の比較的大きなミナミマグロが 回遊してくるそうです。これをまき網で獲って,3〜9ヶ月イケスで蓄養し,太らせ脂をのせてから出荷するのです。 出荷先は日本。日本の刺身市場です。町はマグロで大いに潤っているそうです。 小さな島々が点在していて, ブルーとグリーンの海は静かです。蓄養用の丸いイケスがいくつも見えます。まだ時期が早いのか空のイケスがほとんどです。
なかに,ミナミマグロが入っているイケスがありました。 海面に小波がたっています。魚らしきものうごめいているような気もします。

「見えた?」 アンさんが ヘッドセット越しに聞いてきました。
魚だと確信は持てませんが,なにも入っていないイケスとのちがいは なんとなくわかります。
「イエス」
半信半疑の返事になってしまいました。
本物の魚群を探査する前に, イケスの魚でとりあえず目慣らしのウオーミングアップといったところです。
テスト飛行は20分ほどで終わりました。 沿岸をぐるりと回って終わりです。エンジンも計測機器類もパソコンのプログラムもすべて順調だったようです。 プロペラの 回転が落ち,赤土をけたてて,スムーズな着陸です。
ライルさんの腕前は確かなようです。
大男とメガネの博士の コンビは,ボクらが帰りついたらとっくにもう1機のテスト飛行を終えて,帰宅モードで待ち構えていました。

「明日はだめのようよ」 アンさんが天気図を広げて説明してくれました。
エアリアルサーベイは風の弱い日に 飛ぶそうです。
風が強いと,白波やうねりにじゃまされて魚群が見つからないのだそうです。
風が強く 1週間も10日も待機することもあるそうです。
天気が探査を左右するだけに,天気図を3ヶ所から取り寄せ, 操業中の漁船からも現場の情報を収集しているのだそうです。
オーストラリアの南に高気圧が居座っていると, 東の風が強くて飛べないそうです。
高気圧が東に去り,気圧の谷が顔をのぞかせるころがベストなのだそうです。
ボクには6日しか残されていません。
はたして,ボクにふたたび空を飛ぶ機会が訪れるのでしょうか?
テスト 飛行だけでおわり,なんてことにならなければいいのですが・・・。

0の次15,15の次30,その次は?
と, 問われれば45と答えるのが常識ある人。
40と答える人は算数を知らないか,ピントのずれた人でしょう。
ところが 正解は40なのです。
世界中の人が40でまちがいないと認めているのです。
何だとおもいますか?
これ, テニスのはなし。
テニスのスコアの数え方です。
0をラブと読むのは貴族の奥ゆかしさと認めるにしても, イギリス人は数列を知らなかったようです。
そういえば,イギリス生まれのスポーツは不思議なことばかり。
腕を使ってはいけないサッカー。
オフサイドって何だ?
ボールを前に投げてはいけないラグビー。
ノックオンって何だ?
アルバトロス(アホウドリ),イーグル(鷲),バーディー(鳥), 鳥ばかり出てくるゴルフ。
ドライバーってどんな鳥だ?
イギリス生まれの摩訶不思議なスポーツの 極めつけはこれでしょう。
クリケット。
ああ,あれか,とひらめいた人はほとんどいないはずです。
日本にはまったくなじみのないスポーツです。
そのクリケットの試合が,毎晩テレビで放映されています。
オーストラリア,インド,パキスタンの三国対抗戦のようです。
クリケットは,野球の元祖だそうです。
スポーツ好きのハラダでも,ことクリケットに関して知っていることはただこれだけです。
ルールはおろか チームの構成人員さえ知りません。

オーストラリア対インド。
観衆は7万5000人。高校野球の甲子園が 5万だとか6万といいます。
7万を超えるということは日本の国民的行事をはるかに上回って いることになります。
わけのわからないスポーツが野球より観衆が多いなんてちょっと悔しいですよね。
ゲームは,野球の元祖らしく,だだっ広いグラウンドで行います。ほとんどが芝です。
芝の一部を 幅1メートル長さ15〜20メートルくらい刈り取り,土をむきだしにしておきます。
その長方形の一方の端では, 船をこぐオールのような不恰好なバットを持ったバッターが構えます。
ピッチャーは,一方の端の はるかかなたから走ってきてボールをワンバウンドでバッターに投げます。
それをバッターが打ち返す, というゲームのようなのです。

野手はあちこちに点在しています。
素手です。野球のように グラブをはめていません。
全員,純白のユニフォームを着ていて敵味方の区別がつきません。

「ワァー!!,ワオー!!,ウオー!!」
7万5000人の観衆が,わめこうが,叫ぼうが,どよめこうが ボクには何がなんだかわけがわかりません。
インドの応援団がグラウンドにビンやゴミを投げ入れています。
不服,不満があることはわかりますが,その理由はまったくわかりません。
かれこれ2時間も, このゲームの謎解きに挑戦しました。ところが糸口すらつかめませんでした。
骨折り損でした。 まったく摩訶不思議なスポーツです。

それでも,ふたつのことはわかりました。
日本の自動車メーカーがコマーシャルに流れていたことと,選手の袖口に日本のシューズメーカーの ロゴマークをみつけたことです。
日本人にまったくなじみのないスポーツを日本のメーカーが スポンサーをしているのです。
たっぷり2時間もかけたのに,商魂たくましい日本企業のすがたを, かいま見たに過ぎませんでした。

きょうは,アンさんとボブさんとともにセデュナまで ドライブです。
そうそう,190センチ近い大男の名前はボブさんと判明しました。
エアリアルサーベイの 副リーダーです。
きのうはモテルの窓枠がヒューヒュー泣き声を上げるほど風が強く飛行は 中止になりました。
そして,きょうも中止です。中止を利用してセデュナまでドライブです。
セデュナはポートリンカーンの北西400キロにある町です。
片道約4時間のドライブです。
日帰りの予定です。
「帰ってくるのは,真夜中になるかもしれない」
「いっしょに,行く?」
何でもみてやろう,ハプニング(墜落以外)大好き,冒険歓迎の精神で来ていますから,
「イエス」
返事に迷いはありません。

セデュナを基地にして,操業船のための航空探査をしているのだそうです。
飛行機で魚群をみつけ,その情報をもとに漁船がかけつけて魚を獲るわけです。
飛行機と漁船の チームワークで操業しているのです。
アンさんは彼らのデータも収集して分析しているのだそうです。
その商業用探査グループとの打ち合わせに行くのです。

大陸は無限の大地と1本の道路でできています。
麦わら色の大地です。
人家はサイロとともに道々に点在するだけです。
荒野のうねりを地平線の かなたまでただひたすら一直線に道が伸びています。
この道は僕らだけのものです。行く手をさえぎるものは なにもありません。
セデュナまでの4時間で,行き逢った車の数はたかだか1ダースほどでした。

探査グループは仕事中で空の上でした。僕らは待つことになりました。
海辺の芝の上で結婚式をあげていました。 青空結婚式です。
街中には色の黒い,みすぼらしい身なりのひとが目立ちます。
「アボリジニーだよ」
ボブさんが教えてくれました。
オーストラリアの先住民です。
ポートリンカーンでは見かけませんでした。
セデュナではじめて目にしました。
オーストラリアは白豪主義を国是としていたはずです。
白人優位政策で有色人種を差別していたと記憶しています。
最近ではテニスのドキッチ選手が全豪選手権の 組み合わせを決める際に人種差別がみられたと発言して物議をかもしました。
彼女はスラブ系移民の子です。
ボクにいわせればスラブ系もゲルマン系もアングロサクソン系も同じ白人にしか見えません。
にもかかわらず, 現在でもアングロサクソン優位社会の名残があるとすれば,色のついたアボリジニーがどういうあつかいを受けているか, たやすく想像できます。
この国の歴史も,現在の状況も知らないボクにはこれ以上コメントすることが できません。

探査グループは夕方になって,続々と帰ってきました。
全部で6人そろいました。
パイロットとスポッターのふたりで1組ですから,3組になります。
「カツオの群れはたくさんみたけど, マグロは少なかった」
彼らが常宿にしているモテルのレストランで,夕飯をほおばりながらきょうの 成果を語りだしました。
ボクはシンガポールヌードルをかきこむのに忙しく,それから先のアンさん ボブさんと彼らの会話は耳に入ってきませんでした。

シンガポールヌードルって何だろうか? ものは試しと頼んでみたのです。
供されたのは,はるさめの炒め物でした。
はるさめを シンガポールヌードルというんですね,ここらへんでは。
なかなかどうして,うまい,うまい。
ペロリ,ペロリ。
大盛りにすればよかった。

「帰りはカンガルーに気をつけなよ」
姫路にいたことがあるというパイロットからアドバイスをもらって帰途に着きました。
ここに来るときには,動物の類は目にしませんでした。

「カンガルーはスペイン人と同じで, 昼間は寝ているんだ。
夜になって冷えてくると,アスファルトのポカポカに誘われて出てくるんだ。 夜の方が活動的なんだ」
夕陽を頬に受けながら,ボブさんが教えてくれました。
“そうか, カンガルーとスペイン人は同じか・・・”
新しい発見におもわずにやけてしまいました。

ほどなく,夕陽は地平線に姿を消し,オーストラリアの大地は漆黒の暗闇に支配されました。

(31話に続く)
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